2021.10.21OB紹介を掲載しました。

 

 

村西徹也(2007年度卒業)

 

 

Q.高校時代の戦績は?
砺波工業高校2年生の時に県大会で春・秋は準優勝し夏はベスト8でした。1学年上には元中日ドラゴンズの桜井好実さんがいました。

 

Q.富山国際大学野球部に入部したきっかけは。
高校3年時に富山国際大学が初優勝したのがきっかけです。当時は県外の大学へ進学したいという思いよりは、地元の大学で野球がしたいと思っていました。やはり目標は全国大会である明治神宮大会に出場する事でした。

 

Q.大学卒業後は地元の社会人チーム、伏木海陸運送野球部に進まれました。
伏木海陸運送野球部の補強ポイントが内野手とのことでセレクションを受けました。自分は当時ショートを守っていたので良いタイミングだったのではと思います。また全国大会にも5回出場し、34歳まで大きな怪我もなく現役で続ける事が出来たのは誇りです。

 

Q.昨年から伏木海陸運送の監督となりました。
元ヘッドコーチで日本生命時代に監督経験のある花野巧さんの助言もあり、監督を引き受けさせて頂きました。富山県は企業チームが3チーム(伏木海陸運送、ロキテクノ富山、IMF BANDITS富山)とクラブチームが1チーム(富山ベースボールクラブ)があり激戦区です。

 

Q.監督就任1年目で都市対抗に出場されました。
1回戦で大阪の強豪、パナソニックに負けました。終盤も追い上げていたのですが、1-2で悔しい敗戦となりました。ただ、全国の強豪と互角の試合が出来たことで、自信にもつながりました。全国大会である都市対抗野球には過去5回出場していますが勝利はあげていません。今年こそは悲願の1勝を目指します。

 

Q.富山国際大学野球部の後輩たちに一言。
OBという立場として、やはり後輩達の試合結果は、気になります。もちろん、1部で優勝を目指して欲しいですが、社会人野球など、上のレベルでプレーする選手が増えて欲しいです。お互い、頑張りましょう。

 
 


 

 

坂野隼斗(2018年度卒業)

 
 

Q.高校時代の戦績は?
中学の新川ボーイズ時代、日本代表選考の練習に参加した際に、グラウンドへ見に来られた岐阜県・大垣日大高校の阪口監督に声をかけて頂き、県外へ進学する事を決めました。高校時代は怪我に悩み、チームとしては2年、3年と連続で甲子園に出場しましたが、自分はベンチ入りが出来ませんでした。

 

Q.富山国際大学野球部に入部したきっかけは。
ボーイズリーグ時代の先輩で富山国際大学で主将も務めた相山慎さん(2016年度卒業、高岡商業出身)からお誘いを頂き、当時監督の吉村康成さんが大垣日大まで、出向いていただいたのがきっかけです。阪口監督からも後押しして頂き、自分にとっては野球をあきらめかけていた時だっただけに有難いお話でした。

 

Q.富山国際大学時代の思い出は。
1年春からリーグ戦に出場させて頂き、調子が悪い時でもチャンスを頂きました。県外の強豪校から来た事がプレッシャーとなり結果が出なくてもがいていた時に、吉村監督から付きっ切りで指導をして頂きました。2部リーグではありましたが3年秋に首位打者を取り、4年春には最優秀選手賞を受賞する事が出来ました。また、主将をやらせていただいた事で、より上でプレーをしたいと思いました。

 

Q.その後、社会人クラブチーム・佐久コスモスターズに入り現在は独立リーグ・富山GRNサンダーバーズへ
佐久コスモスターズへは富山国際大学野球部の先輩、斎藤康二さん(2010年度卒業、米子北出身)から声をかけて頂いたのもきっかけです。もう一度、富山国際大学で学んだ事を県外で発揮したいと思いました。そして、最後に地元で挑戦したいと思い独立リーグにチャレンジしました。1年目からスタメンで使って頂きましたがシーズンを通して戦う難しさを学びました。NPBで活躍された方々からプロの意識を教わり、全国、海外問わず野球で上を目指す選手とプレーができたのは野球だけではく人間的にも成長をさせてもらいました。

 

Q.富山国際大学野球部の後輩たちに一言。
自分達の時は2部リーグでしたが、後輩達には1部リーグで優勝して神宮大会に出場して欲しいです。私は怪我などでどん底を味わった人間なので、出来る選手より出来ない選手の気持ちがわかります。野球を通じて経験してきた事をOBとして後輩たちにアドバイスが出来ればと思います。