野球部紹介

ABOUT

Team Policy

チームポリシー

富山国際大学硬式野球部は、野球を通して「逆境に打ち勝つ精神力」「苦しい局面でも最後までやり遂げる忍耐力」「自立し力強く生き抜く人間力」を養うべく日々、取り組んでおります。
昨年の秋季リーグ戦で入替戦に勝利し、9年ぶりに1部昇格を果たしました。これでチームの目標が「1部昇格」から「北陸リーグ制覇」に変わり、やっと神宮を目指すステージに立つことができました。チームテーマを"最高挑"とし、神宮を目指してチャレンジしていきます。

Greeting

総監督、監督紹介

総監督 吉村康成 (ポジション:捕手)

球歴

昭和52年 富山商業高校入学
昭和54年 春季高校野球富山県大会 準優勝
春季北信越大会 優勝
夏の全国高校野球県大会 ベスト4
昭和58年 東都大学野球一部
春季リーグ戦 優勝 ベストナイン受賞
秋季リーグ戦 優勝 ベストナイン受賞 打撃ベストテン9位
昭和58年 全日本大学野球選手権 優勝
日米大学野球 全日本代表として出場 シリーズ優勝
シリーズ首位打者獲得
昭和58年 明治神宮野球大会 大学の部 準優勝
昭和59年 社会人野球 日本選手権2度出場


総監督 吉村康成 (ポジション:捕手)

駒澤大学硬式野球部に入学され昭和58年には東都大学野球リーグ1部で春・秋優勝、捕手として連続ベストナインを受賞されました。
入学した昭和55年から遠ざかっていた優勝。主将の白井一幸(元日本ハム)を中心に当時監督の太田誠監督からも「球際に強い野球」をやった年と言っていただきました。

さらに全日本大学野球選手権優勝、明治神宮大会準優勝されました。そして第12回日米大学野球選手権大会では全日本代表に選ばれました。
当時、白井一幸(元日本ハム)和田豊(元阪神)、小早川毅彦(元広島)、広沢克己(元ヤクルト)、仁村徹(元中日)等、スター選手がいました。その中で首位打者を獲得できたことは自信となりました。特に印象に残っているのは米国代表の元メジャーリーガー、マーク・マグワイアとの対戦でした。


輝かしい球歴を残しながら、何故、プロ野球へ進まなかったのでしょうか?
日米野球の全日本代表メンバー、広沢や小早川のフリーバッティングを見てパワーが桁違いだと感じました。こういう選手がプロに行くのだなと。強豪社会人チームからも声もかけていただきましたが地元・富山で野球がしたいと思い北陸銀行へ入りました。日本選手権には2度出場することができました。


これからの富山国際大学硬式野球部に望むことは?
やはり野球を通して「努力することの大切さ」「何事にも最後まであきらめない精神力」「我慢強い忍耐力」を養い人間形成を図って社会に貢献できる人材を育てていきたいですね。

監督 嶋田陽介

中学時代は高岡シニア、高校は高岡向陵高校へ。高校時代の思い出は?
高岡シニア時代には高校進学時、県外からも声がかかりましたが、地元の高岡向陵高校へ進学しました。高校2年時の秋は県大会ベスト8。1学年上には富山国際大学を北陸大学野球リーグ初優勝に導いた藤田剛士さんがエースでした。3年時にはキャプテンとなり最後の大会は甲子園に出場した滑川に敗れました。自分自身は3打席連続敬遠で高校野球が終わってしまいました。


高校卒業後は駒澤大学硬式野球部へ進学されました。
高校3年時に駒澤大学は明治神宮大会で優勝したんです。しかし、入学した春のリーグ戦は最下位で2部に降格しました。まさに天国から地獄でした。しかし、厳しくも充実した4年間でした。同期には新井良太(元阪神)、1学年下に増井浩俊(オリックス)。2学年下には大島洋平(中日)がいました。


大学卒業後は母校、高岡向陵高校の監督も務められました。大学野球の監督との違いは?
高校生も大学生も指導方法は基本変わりません。しかし、大学生なので自主性を大切にし自立心を持って成長して欲しいと思っています。チームの目標も選手同士で話をさせました。監督としては良いところを伸ばしてあげて、足りない所に対してアドバイスしたいと思っいます。


これからの富山国際大学硬式野球部に望むことは?
大学野球部に入部してくる選手は決して高校時代に実績がある選手ではありません。むしろ高校時代に完全燃焼できなかった選手のほうが多いです。しかし、野球に対する情熱はあり伸びしろもあります。北陸大学野球リーグでは13年振りに1部リーグに復帰しますが、チャレンジャーの気持ちを忘れず指導者、選手一丸となって戦います。